学年最下位が国立大に受かろうとした話

時間も学力もないわたしがどうやって国立大に受かったか

学年最下位でも国立大に受かったよ①





ビリギャルの二番煎じな話



こんにちは。ただいま大学2年生ののんびりオタク女子ですどうも。
だらだらと書き溜めてたのがやっとまとまったから折角だから上げよう。わたしの自慢話。


わたしねーーーー!
高校のときはテスト最下位で、偏差値25とかだったんだけど、結局国立大に受かったんだよ!現役で!
っていうビリギャルの二番煎じを書きました。
(ビリギャルフィーバー終わった感isある)
あ、わたしはギャルじゃなくて、腐女子



高校受験までのわたし

わたしの通ってた中学は、地元の公立でないところで、なんかとても頭良くて勉強できる子がたくさんの中学でした。部活がゆるゆるで放課後暇だったので当時中学生といえば憧れの「あ、わたし今日塾あるわー」や、「あーー塾行きたくねぇー」とか「塾の宿題終わってねー」とか言いたくて塾に通い始めました。父親(後述アリ)には死ぬほど反対された、確か。でも暇だし、なんか自分で勉強とか出来ないし、ごねてたら、ママがなけなしのパート代で通わせてくれた。(本当にありがとう)

勉強は基本的なことは出来たし、ノリにのった中学時代だったと思いたい。多分そう。中2のころにイナズマイレブンに出会い、世界が変わった。

で、中3。進路を考える頃。進路ってふわふわ見えないものだし与えられるものじゃなくて、自分で探して自分で掴みに行かなくてはならないものっていうのがすごく嫌だった記憶。

確か当時本当は女子高に行きたかったのにあんまり偏差値()が高くなかったから(自分の学力より下)父親に反対されて、じゃあめんどくせぇ!お前が落ちたところに行けば文句ねぇだろ!?!?テレビのチャンネル権もくれるよなぁ!?って反抗心で、父親が不合格した県内でナンバーワン進学校にすることにした。

ここらへんで父親の話をしたい。
小学校高学年くらいからわたしは父親のことがあんまり好きじゃなかった。
パピーは小学校の教師である。のに!教育者なのに!わたしにバレる程度には浮気を繰り返し、果てにはどっかの女に子供を作って裁判になるような。酷い。結末やら詳細は分からないけどそんなかんじ、酷いよね。そんな自分を棚に上げて(まあ親だもんな)わたしには勉強しろ、遊びになんて行くな、テレビなんて見てるんじゃねえ、勉強しろ、自分の部屋に行って机に向かえ、ってことばっかり言う。すごいむかつく。こそこそ自分の部屋でイナズマイレブンの選手名鑑を見る日々だった。

話は戻りまして、さて、親と進路で言い合うのは嫌だし、進路を考えるのが嫌で、まあとりあえず県内ナンバーワン進学校に進路を決めたことだが(あと家から近かった)、わたしにはそんな学力は無い。毎日塾に行って、勉強して、勉強したけど、いくらやっても模試の合格可能性10%以下。酷い。
学校の先生にも、塾の先生にも、受かるって言われなかったけど受けなかったら絶対に受からない!って思って、とりあえず受けた。

結果は受かったよ!わーい!父親をブッ倒した!ふはは!
いまだにこれはなんで受かったか分からない。受験しなかったら合格は無いからとりあえず受ければいいと思う。無責任なこと言った。


序章のつもりなのに長くなりました。へへ


高校生のわたし

先述の通り、県内ナンバーワン進学校に行ったわけだが、とても大変だった最初から。スタートラインから。特に覚えてるのが数学。1学期の1番初めの授業が、教科書の40ページくらいからなの。そこまでは各自でよろしくねスタイル。引いた。やべーぞーー!最初のほうにあった小テストで0点取ったの覚えてる。隣の人と交換して採点するやつだったんだけど隣の人は満点だった。

中学のとき、塾と学校でチロチロ勉強してれば点取れたし、成績そこそこだったし、父親が落ちたところに受かるというとても気分の良い事をしてしまったからまじ勉強する気にならなかった。それに授業のスピードがマッハでついていけないし。ここでわたしは勉強をやめてしまったんだな。

わたしの中学校には宿題とか課題ってものが一切無くて、自分で自分に足りないものとか勉強しなよスタイルだったんだけど、高校は課題が出て(他に比べれば少ない方らしい)、それを期日にまでやるってことがすごい難しかった。

学校は楽しくなかった。今までは土日?イラネ早く学校行きたいマンだったのに、学校に行きたくなくて朝泣いて、泣きながら学校に行ってた。涙を流しながら自転車漕いで学校行った。辛かったな〜授業が分からないのと、なかなか友だちができなかった。家に帰ってわたしのお部屋で漫画(BLEACH)を読むことと、うたプリの録画を観ることだけが支えだった。

たしか高校1年の最初の定期テスト、世界史が15点くらい。ノー勉だもんな。

高校1年のころはMARCHの大学に行きたいって思ってた。とくに立教。なぜならデュラララにハマってたから。池袋に住みたかった。セルティストゥルルソンを目撃したかった。

高2になっても相変わらず勉強はしなかった。部活が楽しくなって、部活のために学校へ行くっていう理由が出来た。ママは喜んでくれていたはず、と思う。泣きながら学校行ったのが、部活が楽しいって言うようになったから。

高2くらいになると中学までの学力貯金も底をつき、定期テストの点数、学校の成績、模試の偏差値どれも、赤点、ビリ、低い、みたいな感じ。でもこれが当たり前になってしまったから、危機感や焦りはなかった。恥ずかしさとかもなかった。

高2の夏休みに勉強と遊びのなんかで父親と大喧嘩して家出したこともありました。始発でママの実家に帰るっていう家出。担任の先生にも心配された。

高2の冬くらい。わたしはうたプリと声優さんに猛烈にハマってた。部屋の壁にはポスターがびっしりだった。それが父親は気に入らなかった。
ある日、ポスターを剥ぎ、捨てろのお達しがきた。たぶんポスターだけじゃなく、わたしの成績はどん底、勉強はしない、遊び呆けた(つもりはないけど、)態度が許せなかったんだと思う。あんな部屋にいて大学に行けると思ってるのか?MARCH以下の私立に行ってみろ?学費も生活費もなにも出さないからなって言われた。(自分は私立高校の上、一浪して東京の中堅私立大のくせに)
当時のわたしはこの言い方にとても腹が立った。ポスターは剥がない。レン様を剥ぐなら私も死ぬ。この超大喧嘩ママは呆れていた。ポスター剥ぐだけじゃんね、今のわたしもそう思う。でも許せなかったんだな〜まぁしょうがない。わたしはMARCH以下の私立に行ける権利を捨てて、壁のレン様を守った。
もちろんこのころのわたしにはMARCHに受かる学力なんてなかったよ。日東駒専もたぶんムリ。

高2の終わり頃になるとやっぱり進路について考えなくちゃいけないことも増えて、とても嫌だった。進路嫌い。でもどーすっかなーって思ったよ、わたしにはポスター事件があったから気軽に私立に行けなくなったわけだし。
これよく覚えてないんだけど、なんかふと、地元で良くない?って思った時があった。地元の公立大。お金かからないから公立大ならたぶん父親的にオッケーだし、実家暮らしだからきっとお金に余裕出来るし、わたしは東京に声優さんに会いに行ける…!と思った。(あとは一人暮らししたくなかった)そこからわたしの志望校は立教大から地元の公立大に変わったのでした。

まだこのころは3年生あるし〜〜とか思って勉強してなかった。英語、数学、など定期テストは全部赤点でした。校内の学力テストみたいなやつで200点満点で10点くらいだった記憶。ワオ!

さて、高3。そろそろ具体的な勉強の話が出てくる…と思います!?まだ勉強してません!YBI!部活の最後の大会と、体育祭でチーフになってしまったもんで、それがとても忙しかった。勉強やらない口実。
部活は全国大会へ。体育祭は結果はついてこなかったけどそこそこ盛り上がりました。あっ部活は文化部。放送部ってやつです。



全国大会が終わるのが7月の終わり。ここからわたしの受験がスタートしました。




長くなったので具体的なのは次回にしようと思います。